前回のテレビドラマにおける舞台設定やシナリオに既視感を覚えることの続きです。フジテレビのドラマ「119エマージェンシーコール」の先週の話のテーマが通信システムのダウンでしたが、タクシーの配車システムにも似たようなことがあります。システムダウン自体は約20年の勤務で1階だけありましたが、停電によるシステムダウンは結構ありました。勿論、停電用の非常電源も確保してあるのですが、長時間の停電には対応していません。ナビシステムや無線による配車が出来ないので、新規の配車以来の受付は一時中止で、予約配車の処理に専念します。電話の前に予約伝票と住宅地図を準備してドライバーの携帯電話へ連絡します。ドライバー全てに順次連絡し、現在位置を確認、予約のお客様に近いエリアにいれば配車します。詳細は文面などが画面に出るメールなどを送付し、ドライバーさんの負担が出来るだけ少ないように心掛けます。本社に近い位置のドライバーには基本的に入庫してもらい、順次予約配車を処理してもらいます。幸い予約配車のお客様は基本的にじょいうれんさんが多く、ドライバーも慣れており行先も病院など分かり易いものです。あとは停電が長時間に渡らないことを祈るばかりです。携帯電話が普及しておらず、停電も今より頻繁に起こった昔の配車は大変だったろうなと想像に難くありません。
実は私の父は消防士で若いころには通信指令室の担当でした。父が現場に立つようになってからは、火災が重なった際には予備の着替えを届けに消防署へ行くこともありました。ちなみに祖父も曽祖父も消防団員で、曽祖父は殉職しています。祖父は消防団員として黄綬褒章を受章しました。私も大学に通い就職を控えていた際には消防職員の試験を受けてみないかとリクルートも受けました。親子3代にわたって消防に携わっていた家族は当時国内に2家族存在しました。岐阜県と新潟県にそれぞれ存在しており、新潟県が私の家族でした。しかし残念ながら24時間勤務が私には向いてないと消防職員は志望せず、弟もまたリクルートを受けたものの一般企業への就職を選びました。結局岐阜県の家族が4代目を輩出し、日本唯一の4代目消防職員の名誉を受けることとなったのです。今となって思えば残念なことですが、精神的にも肉体的にも消防職員には向いてなかったと思いますので仕方ありませんね。
この項目は自分史の過去を振り返る意義もあり次回以降も引き続いて書いていこうと思います。
