1リットルの涙

亜也(沢尻エリカ)の脊髄小脳変性症はさらに症状が進み、歩行はますます困難になり発音も聞き取りにくくなってしまいました。同病の私の母と比較すると彼女の症状の進行はかなり早いほうですね。そんな彼女の姿を見ながら母が「これから世話をかけるね」とつぶやきました。母はまだ多少なりとも歩行が可能な状態にありますが、最近になってわずかな段差が大きな障害に感じられるようになってきたようです。炊事、洗濯も出来ていますし、もちろん入浴にも介助はいりません。ただ、今後はそれらのひとつひとつが出来なくなっていくことはハッキリしています。まさしく神様は意地悪なのです。いや、それだけではありません。神様は気まぐれでもあるのです。実は母の兄弟(つまり私の伯父と叔父)も同じ脊髄小脳変性症を発症しています。一番最初に発症したのは叔父でした。叔父は完全に歩行不能な状態に症状が進行し、発声が思う通りに出来ないので普通の人との意思の疎通は困難です。ドラマの中で水野医師(藤木直人)が発声のリハビリ指導の際に「伝える意思があり、聴く意思があれば言葉は伝わるものです」と言う台詞がありましたが、まさしくその通りだと思います。発声が不自由な叔父の言葉であっても、叔父の家族と私にはしっかりと理解できましたから。一方、2番目に発症した伯父の方も、最近は移動の際には完全に車椅子が必要な状態にまで症状が進みました。発声の方もかなり聞きづらくなってきています。つまり最も遅く発症した母は、自分の将来を最も身近な存在である兄弟に見せつけられているわけで、実に辛いことだなあと神様の気まぐれを恨まずにはいられません。
ドラマの方は残り2話、ますます辛い展開になっていくことは予告からも明らかですが、「目をそらすことなく最後まで見たいね」と母と話しました。
ところで、この素晴らしいドラマを制作したフジテレビには感謝していますが、そのフジテレビの番組編成には文句を言わせて頂きたい。何故に「1リットルの涙」の直後に「鬼嫁日記」を編成してしまったのか。「1リットルの涙」はエンドロールの映像に使用される原作者の日記の文章が、非常に重要な意味をもつ作りになっています。エンドロールに映し出される原作者の直筆の日記を読んで、おそらくは様々な思いを胸に抱き、ドラマの余韻に浸っている視聴者に対して、すぐに「鬼嫁日記」の予告を目にさせるのは暴力にも近いものを感じます。「鬼嫁日記」そのものの批判をしているのではなく、視聴者の余韻を大切にしてほしいと思うのですが我がままなのでしょうかね。
1リットルの涙―難病と闘い続ける少女亜也の日記 (幻冬舎文庫) 沢尻エリカ COLOR [DVD]