私のオタク遍歴 その2

新型コロナのお陰で、Negiccoの活動に関するブログが、なかなか書かれる機会が少なくなってきたので、新たなコンテンツをスタートしようと思います。と言いながら何カ月も間が空いてしまいました。
小学校編の2回目です。小学校の夏休みには自由研究という宿題が必須でした。9月に入って2学期がスタートすると、クラス代表による前項発表会があるのですが、私は小学校の6年間で3回クラス代表に選出されました。1年生の時に「朝顔の成長観察」、5年生の時が「月の研究」、6年生の時が友人との共同研究で「シュラインシュリンプの成長観察」という小型のエビの卵からの孵化と成長観察でした。「月の研究」は夏休み前に親におねだりして屈折式の天体望遠鏡一眼レフカメラを買ってもらいました。もちろん夏休みの自由研究も理由にしました。天体望遠鏡に、一眼レフカメラをアタッチメントで接続して撮影した月の写真を使って、月の満ち欠けと月の公転・自転を解説したもので、完全に狙って取りに行った自由研究のクラス代表でした。天体の写真の撮り方は、当時の天体観測の師匠のアマチュア天文家Tさんに教わりました。ちなみに月の写真は自分で、現像、引き延ばし、焼き付けしていましたが、5年生の時に写真クラブを立ち上げて、小学校の暗室を使用させてもらいました。また、写真クラブの活動の一環として、クラブ活動で撮影した写真を利用しての壁新聞作りがありました。壁新聞活動で思い出深いのは、当時の台風の影響で、新潟市の海岸に設置されていた消波ブロック用のテトラポット座礁し、船体が切断されてしまったタンカーのジュリアナ号の事件がありましたが、学校の授業終了後、海岸に駆けつけて、切断されてしまったタンカーの船体を撮影し、学校の暗室ですぐに写真を現像・引き伸ばし・焼き付けして、壁新聞を作成して張り出しました。翌日登校してきた生徒や先生がびっくりしていたのを見て、誇らしく思ったのを覚えています。
ということで小学校時代は文科系の活動を積極的に行う子供でした。私自身もびっくりするくらい積極的で活動的な子供でしたね。一方で運動能力の方はどうかといえば、運動音痴ではなかったようです。短距離走も持久走も、思いっきり平均的でしたし、当時球技といえば野球でしたが、補欠は免れましたものの、基本的には外野でした。水泳は金づちではありませんでしたが、さほどの距離は泳げませんでした。唯一得意だったのは跳躍で、走り幅跳びでは市内で2位、走り高跳びでは10位の記録を持っていました。
以上、オタクとは少し違う内容かもしれませんが、将来のオタクとしての素地が小学生の自分に見られるような気がします。