その12 同人誌発行(その2)

このオタ話は私のプロフィールの詳細紹介も兼ねてますので初めての方は最初から読んでみてください。
同人誌の話は1年前の「オタ話その9」の続きになります。結局、SPRINGERの最終号は見つからなかったのですが、間隔が空き過ぎても変なので続きを書いてしまいます。

SPRINGERは58号(83年9月発行6P)からワープロ化しましたが、58号のみ横書きになりました。これは私がワープロソフトに慣れておらず、縦書きの出力の仕方がわからなかったからですね。59号(83年12月発行14P)のみ手書きに戻りますが、この号から表紙が新潟中央高校漫研出身の横山教子さんに固定化します。彼女とはガタケット(新潟版コミケット)で彼女が作っているウラシマン関係の同人誌を購入して感想を送って以来、手紙のやり取りが続き、SPRINGERの読者にもなってもらっていました。そんなことから無理にお願いし表紙イラストを描いてもらうことになったのです。それ以降同人誌の顔である表紙が非常にPOPな感じになりました。彼女は高校卒業後アニメーターを目指し上京しました。その後立派にアニメーターとしてデビューし「うる星やつら」等に関わったようですが、現在は連絡が取れていません。またこの時期からワープロ打ち職人・印刷製本担当として、発行人の私よりも活躍の目立つようになった語部正雪氏の大型連載小説がスタートし、ページ数の増加傾向が強まります。60号(84年3月発行14P)からワープロ縦書き二段組になりました。61号(84年6月発行18P)からは語部氏による映画評の連載が始まり、語部氏の連載小説には横山さんの挿絵が付くという豪勢なものになっていきました。私の方はアニメ評とレコード評などを書く程度で、完全にメインから外れてしまうような情けない状況でした。そして次号以降は更にページ数が増加していくのですが、残りは続きにしたいと思います。