その10 オタは親譲り(その1)

東京より何週か遅れで放送された「TVチャンピオン」アキバ王決定戦を見ました。内容的にはアキバ系店舗サービスの知識を競うという要素が強く、オタクとは若干違う部分もあったのですが、結構笑いながら楽しく見させてもらいました。で、番組を見ながら気がついたのですが、いつの間にか出場者達を保護者的な目で暖かく見守っている自分がそこにいたのですね。彼らの力の入り方が無性に可愛らしく感じられたというと表現がオーバーですが、私自身がオタクとして枯れてきたからこその感想かもしれませんね。
さて、「オタ話9 同人誌発行(その1)」を書いてから半年以上経ってしまいましたが、実は同人誌の最終号が見つからず続きを書くことが出来ません。そこで、私が父親から受け継いだオタの血筋について書いてみたいと思います。世間はオタクといって私のような存在を特殊な者として見ていますが、私自身はそんなことを意識することなど全くなく育ってきました。それは間近に父親を見て育ったからではないかと思います。父親は今で言うところの本オタクでした。何しろ毎日1冊以上、月にすると50冊以上は本を買って家に帰ってくるのです。それも文庫はほとんどなく、新書、ハードカバーが中心でした。従って書棚がぎっしりなのは当然のこと、部屋の壁際を本の平積みが埋めてしまうという現象を当然のこととしてみて育ったわけです。そんな環境ですから小さなときから本を読むことに抵抗は全くなく、本を買い集めるほどお小遣いは貰ってなかったので、必然的に学校の図書館を棲みかにし、本を借りまくるという生活が続きました。中学へ通うようになると、帰り道に古書店を発見し、図書館を利用する他に文庫の古本を購入するという楽しみを覚えました。そこで、創元推理文庫、ハヤカワSF文庫に出会ったことからSFというジャンルにのめり込み、後のファンダム活動や同人誌活動に繋がっていくのですが、それは既に前に書きましたね。
で、父親の話の戻りますが、本オタであった父親の生活をがらりと変えることとなる物が我が家にやってきました。それがビデオデッキです。当時購入したのはベータマックス方式のビデオでしたが、購入価格は20数万するまだまだ高価なものでした。また、テープもまだまだ現在のような価格とは比較にならないほど高価でしたので、最初は父親も少ないテープに繰り返し重ねて録画をしていたようですが、2時間録画用のテープの価格が500円を切るようになると父親の行動が変わったのです。(この項続きます)