漫画原稿流出事件

 昨日の続きです。
昨日は情報を提示して、判断を訪問者の皆さんに任せるような形で終えていました。
「善意の第三者」のイメージについて色々なコメントがつくかと思っていたのですが、一番最初に寝ず見さんの大正解がコメントされてしまいました(泣)。
案の定、それ以降コメントはひとつもつきませんでした。
まんだらけの行為は「善意の第三者」のイメージと違いますよね』という感じのコメントがひとつでも付いたら、『私も最初はそういう印象を持ったのですが、法的には違うんですよね』と話を進めていく予定だったのです。
寝ず見さんの存在を忘れていたのが失敗でしたね(汗)。

ということで、予定していた構成を少し変更して進めていきます。
「善意の第三者」の「善意」とは、寝ず見さんの指摘された通り、単純に「事情を知らない」ということであり、そこに推測や想像が入る余地はありません。
したがって、持ち込まれた原稿について、どれだけ出所が怪しいと推測し、業界の常識から外れていたとしても、持ち込んだ西池氏の口から不正流出品ではないと確認していますので、まんだらけは大手を振って「善意」の「第三者」となるわけです。
「法的には」なんら問題はありません。
ちなみに「善意の第三者」がいれば「悪意の第三者」もいるわけで、法的に「悪意」とは「事情を知っている」ことですので、もしまんだらけが西池氏が不正に原稿を入手した事情を知っていれば、問題がないどころの話ではなくなります。
こちらは「悪意」の言葉通りのイメージで分かりやすいのですが、まんだらけの「悪意」を証明するものは何もありません。

ところで、私の日記を読んでこられた方はお分かりでしょうが、私はまんだらけの行為を法的に問題だといっているわけではありません。
法的に問題があれば、私の日記にとやかく書く必要はなく、公権力に委ねれば済むことですし、当事者である漫画家の皆さんが弁護士を通じて、民事で戦うなり交渉するなりすればよいことです。
もちろん、守る会や当事者の先生方はその方向で動かれています。
私が日記でこの問題をとり上げて以来、ずっと問題ありと主張してきたのは法的なことではなく、漫画専門古書店としての責任であり、「誇り」と「矜持」の無さにあるのです。
その意味で、擁護派の皆さんが「善意の第三者」と金科玉条のごとく訴えられるのはいかがなものかというのが、昨日の日記の巻頭の意味になるのです。
例えば古書店を例にとって話を進めますが、以下のような事例でも、今回のまんだらけと同様に「善意の第三者」と称することになんら法的な問題はありません。
・同一人物が毎週「NARUTO」の全巻を持ち込んでくるが、古書店側が確認のため質問すると、間違ってダブって購入してしまったのでという答えが返ってきたため、問題無しと判断し買取を行った。
・買い取ってほしいと持ち込んできた書籍は段ボール箱に入った数百冊。全ての本に本来書店での販売時に回収されるはずのスリップが挟まったままだったが、いつも購入する書店がずぼらなので回収されなかったということなので、問題無しと判断し買取を行った。
いずれの場合も目一杯怪しいですが、法的には確認を行って正当なものだという返答を貰っているので、法的には全く問題ありません。
まんだらけの場合と同様に、ただひたすら怪しいというだけです。
ただ、上記の例を読んで多くの方が感じられたように、法的に問題が無いことと社会的に問題が無いことはイコールではありません。
特に、今回の事件において扱われた商品は、まんだらけが専門とする漫画、それも、まんだらけの社長が自分で商品価値を見出し、一般的に定着させたと喧伝している漫画の原画・原稿です。
まんだらけは「善意の第三者」とされることに満足していて良いのでしょうか。
申し訳ありませんが二回では終わりませんでした。
明日に続きます。