私のオタク遍歴 その27 オタク自慢編3

私の個人誌「Springer」の発行部数は20部程度と、その数は少なかったのですが、配布先には当時新潟市に在住だったSF作家の神林長平氏や、私の大学時代の同級生でウィザードリィのコミック版を描いた石垣環氏、そして新潟中央高校漫研出身でその後は「うる星やつら」のアニメーターにもなった方もおり、ただ読むだけでなく表紙イラストや連載小説の挿絵を担当してもらったりと結構協力していただきました。私は自分の個人誌の他に、同じ地元の小説系同人誌「FUNNY RUNNER」に小説を投稿し、アニメ評論系の同人誌「OFF」にはアニメ関連の雑文を投稿していましたが、不思議なことに地元の同人誌即売会ガタケット」には一度も参加したことがありません。
私が同人誌活動を行っていた頃はまだまだ20世紀で、パソコン通信と呼ばれていたニフティサービスのフォーラム(会議室)を利用していましたが、21世紀になってブログが利用できるようになり、私も「はてなダイアリー」の立ち上げの頃からブログを書き始めるようになって、それがこの「星海銀の日記」になるわけで、2003年のスタートでした。つまり「Springer」がブログの「星海銀の日記」に名を変えて生まれ変わったわけです。
以下次回に続く。