週刊文春事件

文春側の保全抗告申立書では「前外相の後継者と目されている長女は明らかに公人」「公益性の有無は記事の対象が私人かどうかでなく記事内容で判断すべきで、文春の記事には公益性があった」としていますが、もはや完全に逝っちゃってしまっているようですね。
一体誰が長女を前外相の後継者と目したというのでしょうか。こういうのを自作自演と言うのではないでしょうか。
この手法であればどんな人でも公人に仕立て上げることが出来ます。
例えば「現在はラーメン屋を営んでいるが、親しい人によれば次期衆院選への出馬が目されている」といった感じで、これが認められればなんでもありでしょう。
もうひとつの公益性の有無を判断すべき記事内容に至っては、マスコミ内部からも公益性に疑問が上がるほど寒い記事内容でしかなかったのに、それを大上段に構えるとは恥の上に恥を塗る行為に他なりません。
一般読者を後ろに置き去りにしての正当性の主張は悲しすぎるものがあるように思います。