漫画原稿を守る会跡地・いっそ更地にしてしまおうか

本題に入る前に、誤解のないように書いておくべきことは書いておきます。
最後までまんだらけ相手に孤独な戦いを挑み、見事漫画家の権利を獲得する判決を勝ち得た渡辺やよい先生に敬意を表します。
また、漫画原稿を守る会活動停止以降もさくら出版から回収した漫画原稿の作者探しと原稿返却に心血を注がれている川島れいこ先生にも敬意を表します。
その上で、この事件に関わった多くの漫画家、出版社、漫画評論家、さらには事件が明らかになった当時に報道を行なった各マスコミに対し、大いなる失望を表明させていただきます。
去る4月16日、渡辺先生がまんだらけ相手に争っていた裁判で、まんだらけが上告はせず高裁の判決が確定しました。漫画原稿の所有権は作者にあると認めた貴重な判例になります。このこと自体は大変嬉しいことですし、全ての漫画家にとって価値ある裁判結果だと思います。徒手空拳に近い形でありながら、まんだらけに対して真正面から戦いに挑み、漫画家の権利を判決として勝ち得た渡辺先生には本当に感謝の気持ちで一杯です。一漫画ファンに過ぎない私にとっても、この判決が漫画家に与えるものの大きさを考えると心躍るものでした。ところがそれから1ヶ月も経とうというのにもかかわらず、このことが話題にされたのはネット上での個人のHP、ブログに限られています。当事者である渡辺先生のサイトにもひっそりと報告されているだけです。以前に漫画家の権利について声高に論じていた漫画家の皆さんはどこに消えてしまったのでしょうか。問題提起するだけで、結論を得るのは他人任せ、それでいて権利だけは主張するというのであれば情けなさすぎます。色々な事情があるのは守る会に関わっていただけに理解できますが、裁判の結果に触れ、渡辺先生の孤独な戦いの勝利(実際は漫画家にとっての勝利ですが)を祝福する程度のことはあってもよいと思うのですが、漫画家の皆さんはもう少し精神的に大人になる必要があるのではないでしょうか。
同様のことが出版社、漫画評論家にも言えます。漫画原稿の所有権が作者にあるという判決が確定したこの段階でコメントを出さずに、漫画界で活動し収入を得るなどとは片腹痛い。意見を発表する場が与えられているにもかかわらず、それを活かすことができずに何が評論家か、漫画評を書くだけが評論家の仕事ではないはずです。
マスコミもまた情けない。事件の発端を報道したからにはその結末もフォローしなければ意味がありません。この事件に限らずマスコミは発端については報道するものの、その結果がどうなったか知らせる義務を忘れてしまっているようです。特に雑誌「創」などは事件発覚からずっと誌上でフォローしてきたにもかかわらず、「日本マンガはどこへ行く」を特集した6月号でも一切触れていないという総痴呆化現象を呈しています。
ということで、今後は渡辺先生も事件に関しての発信はされないでしょうし、他の漫画家は口を噤み、漫画評論家やマスコミも事件そのものを忘却してしまっている状態では、部外者の私が新しい情報に接することもないでしょうから、「漫画原稿を守る会跡地」と題した書き込みもしばらく封印することになりそうですので、一度更地にしてしまおうと思います。
これからは作品としての漫画は愛することができるものの、作り手である漫画家そのものにはシンパシーを感じられなくなりそうです。
「萌え」だの「コンテンツ」だのとはしゃぐ前に足元を見ることが作り手にも、ファンにも必要とされているのではないでしょうか。