母親の病気の進行について。

私と同じ病気である母親の病気の進行が、私自身の病気の進行の参考にもなると思い振り返ってみたいと思います。母親が脊髄小脳変性症(マチャド・ジョセフ病)であると診断されたのは、今から約20年前のことになります。その時の症状は現在の私と同様に、平衡感覚に障害を起こして歩行に困難さを感じていました。ただ、それより以前に夜空を見上げた母親が、すべての星は二重に見えると常に言っていたのが気になります。当時は、近視か乱視のおかげだろうと笑っていたのですが、今となってはあれが初めての症状の発露ではなかったかと思います。残念ながら私の目には近視と乱視が混在していますので参考にはなりません。診断後もゆっくりと症状は進行し、歩行は補助車を押す形でなければ困難となり、それも室内の移動のみがようやく可能という状態になります。更に左手の震えと右手の若干の麻痺が加わり、軽い嚥下障害とむせる症状も出てきました。
そして廊下でバランスを崩して転倒し尾てい骨を圧迫骨折するということが起こりました。これで入院して暫く歩くことがなかったからか、筋力が一段と衰えてしまったようで、補助車を押しても歩行することが困難になってしまいました。トイレも私やヘルパーさんの介助が必須となってしまいましたが、入浴はヘルパーさんの介助は必要でしたが、かろうじて自宅のお風呂に入ることができていました。
しかしながら3年前の暮れに腸閉塞を起こしてしまい3か月近く入院することになってしまいました。これで足の筋力はほぼ失われてしまい、家での生活はベッドの上が基本となりました。母子のみでの生活でしたので、その後は私の仕事に合わせてデイサービスやショートステイを利用し、家でもヘルパーさんの訪問をお願いしての生活に変わりました。外出するのはデイサービス等の利用を除いては、2か月ごとの神経内科での定期診察のみというのが現状です。今後は私もその際に定期診察を受けることになりました。
母親の症状は二度の入院を除いては非常にゆっくりと進行し、発症から20年経った今でも元気ではありますが、80歳を超えて年齢からくるものか、物忘れが目立つようになり、呂律もいくらか回らなくなってきたようです。私の方がいつからヘルパーさんのお世話にならなければならないようになるかわかりませんが、それまでは精一杯母親の世話をして暮らしていきたいと思っています。不自由であっても自宅で息子の私と暮らしていきたいというのが母親の希望ですので。